「みんなのデザイン思考とアジャイル」チーム誕生秘話!?——リコーがDXをはじめるまでの、熱い想いと深い思考
「時代の流れに乗っかって、リコーがDXだなんて言い始めたぞ」
もしかすると、リコーのこれまでのnoteを目にしてくださっている方の中には、そんな風に思ってる方もいらっしゃるのかもしれません。
実はリコーのDX推進およびこのnoteに関わる「みんなのデザイン思考とアジャイル」チームは、メンバーそれぞれの胸に秘めた想いと、これまでの実績から滲み出る志向を鑑みて編成された、という経緯があります。
どのようにしてリコーのDX戦略が始まったのか、どんなメンバーがどのようにプロジェクトに関わっているのかを探るべく、チームメンバーにインタビューを実施しました。するとメンバーのこれまでの背景に、リコーのデザイン思考、アジャイル、そしてDXへの歩みが垣間見えてきました。
今回は、チームリーダーでデザイン思考を推進する武田さん、アジャイルを担当する林さん、DXエグゼクティブの市谷さん3名のインタビューをお届けします。
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社内に点在していた各組織が、デジタル戦略の名の下に集結!?
——リコー社内で「DX」「デジタル人材」という言葉が飛び交いだしたのは、いつ頃からですか?
武田:2021年の4月くらいでしょうか。まだ一年も経っていないんですね。
林:僕もそのくらいだと記憶しています。CDIO(Chief Digital Innovation Officer)の田中さんがリコーに入社されたのが2020年。おそらく、その頃からDX準備室のような組織が立ち上がっていたはずです。
——DXエグゼクティブを務める市谷さんがリコーのDX推進に参画したのはいつのことですか?
市谷:その準備期間から田中CDIOからお話を伺っていて、正式に仲間入りしたのは2021年の4月ですから、まさにそのタイミングです。
市谷:そこから一緒に、リコーが考えるデジタルサービスとは何なのか。それを実現するために何が必要なのか。そして、どのように変わっていかなければならないのか。それらを明確にして、着実に進んでいけるよう歩みを進めています。
リコーは第二創業として「デジタルサービスの会社に変革していくこと」を掲げ、その変革を見据えてデジタル戦略が策定され、それを実現していく基盤には、デザイン思考とアジャイルのスキルセットは欠かせないというのが見えてきました。
つまり、デザイン思考とアジャイルなくしてリコーが掲げるDXの実現はないんだとわかった時、それをいかに普及をさせていくかが至上命題になってきたんです。
林:きっと、そうした流れのなかで、デザイン思考やアジャイルをすでに実践していた組織や人物に声がかかったんですね。
——以前から、社内ではデザイン思考やアジャイルへの動きが始まっていたということですね!
武田:デザイン思考の場合、実際に「社内で既にデザイン思考に取り組んでいる部門があるらしい」というウワサを聞きつけた田中CDIOから、総合デザインセンター(リコーのデザイン業務全体を担う部門)に問い合わせいただいたところから、いまに至っています。
数年前からデザインセンターで草の根的に推進していた活動が、デジタル戦略の名の下に、DXの最重要キーワードとして着目され、全社をあげての取り組みに拡大しています。
インハウスデザイナーが体感していた、リコーの変化
——デザイン思考の推進役でもあり、今回のプロジェクトのまとめ役でもある武田さんは、デザイナーとしてリコーに入社されていますね。どんな理由でリコーを選んだのですか?
武田:僕は、親が家電メーカーに勤務していたこともあって、電化製品が好きな少年でした。家電のデザインって毎年どんどん変わっていってワクワクするな、と感じた一方で、こうしたらもっとカッコいいのにと考えるような子供でしたね。
メカやデザイン好きが高じて、家電や家具のデザインがしたいと思うようになり、工業デザイナーを目指してデザイン系の工学部に進みました。そうして迎えた就職活動は、スーパー氷河期。そんな時代の最中に採用してくれたのが、このリコーでした。
——無事にリコーで工業デザイナーへの道が開けたわけですね!
武田:そうですね。新卒入社時から在籍していた「総合デザインセンター」は、複合機やカメラなどハードウェアの外装デザイン、複合機に表示される操作パネルやアプリなどのUIデザインなど、リコーの製品やサービス、企業としての活動に必要なデザインを担う部門です。
そこで約5年間Webを中心としたUIデザイン、その後約10年間は複合機の外装のデザインに携わってきて、いくつかの主力製品の開発に参加してきました。
——工業デザイナーだった武田さんは、どのようにデザイン思考と関わるようになるのでしょうか?
武田:僕がデザイナーとして活動する十数年の間にも、世間のデザイナーが担う領域は徐々に広がっていました。従来のデザイン業務に留まらず、デザインのスキルセットを事業のそのものへ活かしていくようになったんです。
複合機のデザインに携わって10年。そろそろ新しいことに取り組んでみたいと思っていたタイミングで、デザイナーがいわゆるデザイン以外の部分で事業に関わる動きが出てきて、そこに関わるようになりました。
2017年頃からはそちらに軸足を移し、事業の課題を見つけてコンセプトを考えていく、プロジェクトの上流工程への関与が主になりました。
国内メーカーのインハウスデザインにおいて、ハードウェアデザインの減少傾向は間違いありませんし。こういった変化は必然といえると思います。
そうして、新規事業の支援やTRIBUS(リコーのアクセラレータープログラム)、BIL Tokyo(RICOH BUSINESS INNOVATION LOUNGE Tokyo。田町にあるリコーの知的創造空間)というような社内組織活動の支援をするようになりました。
いま私たちがいる3L(馬込にあるリコーの実践型研究所)というこの施設にも、デザイナーとして関わっています。
——デザイナーが事業そのものに深く関わっていく、その背景には何があったのでしょうか?
武田:2000年代、コピー機の時代は終わりを迎えるなんて言われていました。当然ながらリコー社内でも言われ続けていたんですが、それ以降も、なんだかんだ利益の大半をコピー機が支える時代が続いたんです。
「あれ?カラーコピー機すごい売れてるじゃん!」みたいな時期もありましたし、しばらくはさほど大きな影響は受けなかったんですね。
それが2010年代になると、業績が安定しないようになり、18年には大赤字を計上しました。
そうしたなかで、デザイナーのスキルセットや能力を何か別の方法で生かした方がいいんじゃないかと考え始めた人が「総合デザインセンター」にいて、彼らがリードして組織が立ち上がったのが、その始まりです。
リコー全体としても社長交代があり、新たな仕事やそのやり方を模索し出し、デジタルサービスの会社になるという方針を打ち出す数年前のことです。
視線を社内から業界全体に移してみると、日本大手メーカーのF社やH社は、2000年前半頃からインハウスのプロダクトデザイナーがサービスデザイナーに移行する転換期を迎えていましたから、リコーの変革は業界のなかでも後発だったんです。
いまこのタイミングで全社をあげてDXに取り組む所以は、こうした背景があります。
その名を知らずともリコーなりに実践してきた、アジャイル的な企画開発
——アジャイルを推進する林さんは、リコーでどんなキャリアを歩まれてきたのですか?
林:僕は学生時代に画像処理について専攻していたことから、エンジニアとしてリコーに入社しました。
もう20年以上も前のことですが、当時見学に行った横浜・仲町台の研究所がめちゃくちゃ綺麗で素敵な場所だったんですよ。「こんなシリコンバレーみたいなオフィスで働きたい」と強く思ったことが入社のきっかけだったんですが、その憧れとは裏腹に研究者としては配属されず、その夢が叶わなかったことを鮮明に覚えています(笑)
——そんな入社エピソードが…(笑)
林:最初は組み込み系のソフトウェアエンジニアとしてプリンタ事業部門内の開発部署に配属され、スキャナー機能の開発に携わりました。残念ながらコーディングセンスがなかったために、早々に上流の機能仕様設計の領域に役割が移っていき、チームリーダーやマネージメントに従事していました。
その後、商品企画に移り、プリンタードライバーやスマートフォンアプリなどソフトウェアの商品企画を担当。ある時期には開発部門で新規事業立ち上げしようというプロジェクトチームに呼ばれ、ロボットの事業検討を行いました。
そのロボットの検討がクローズになり、紆余曲折もあって、当時の仲町台の研究所に異動になり、研究所では新規事業プロジェクトでプロジェクトリーダーを務め、そこで初めてゼロイチでプロダクトを世に出すという経験をさせてもらいました。
——しかも、念願の仲町台でですね!
林:……そうなんですが、十数年越しで勤務した仲町台の研究所は入社前に比べればなかなか年季が入っていましたが(笑)。
そこからやっといまの役割に近しい話に繋がってくるんですが、とあるメンバーで「リコーを変えねばならぬ」みたいなアツい話を夜な夜なしていた時期がありまして。
というのも、僕たちより先にリコーに入社している先輩は、複合機で儲かってた時代のことをよく知っていて、僕らより後に入社した後輩は、その複合機で儲かっていた時代のことを全く知らない。僕たちは、そのちょうど真ん中にいるわけです。
自分たちのことを「ハブ世代」という言い方をしていますが、そのハブ世代の我々が、「上と下を繋ぐ役割を担って切り開いていかねば」と、胸の内にそういう考えをもったメンバーがいました。
彼らは会社の未来を検討する部署だったんですが、自然と一緒に仕事をするようになり、その組織がいまの「デジタル戦略部」に繋がっているんです。
——そうした流れがあったんですね。林さん自身は、アジャイルとの接点はいつくらいからあったんですか?
林:実は僕自身がアジャイルと明確な接点を持ったのは、ここ1、2年くらいからなんです。でも、改めて自分の経歴を思い返してみると、エンジニアとして開発に携わっていた時からアジャイルにつながるものはあったなと思うんですね。
というのも、スキャナー開発をしている時はオブジェクト指向という開発手法を取り入れていて、そのなかでもイテレーション開発という小さな単位で要件定義と開発を回していくやり方で開発に携わっていました。プリンタードライバーの商品企画を担当していた時は、海外の商談に対応するために3ヶ月に1度という早いスピードで機能リリースをしていました。
当時、ソフトウェアでもリリースには半年や1年かかっていたので、そのなかでも開発に限らず企画など他の役割も含め、プロジェクトとしてアジャイルに進めていたのかなと思っています。
いまでこそ、リコーが行う開発にはアジャイルを積極的に取り入れていますが、DXを推進するより以前のリコーが「アジャイルのアの字も知らない」という状態だったのかというと、実はそうでもなかったと思っていて。
こうして自分自身のことだけをふりかえってみもて、機敏にお客さんの要望を受け取り、ゴールを決めクイックなリリースに向けて進んでいくという動きをしていたので、その時はアジャイルという言葉を知らなくとも、無意識的にアジャイルを実施している側面もあったんだと感じます。
スタートしたばかりの、でっかい組織の第一歩
——市谷さんは、こうしたリコーのDXのスタートをどう見ていますか?
市谷:リコーが「デジタルサービスの会社になる」と掲げた大きなビジョンの背景には、「第二創業」と表現するほどの、変わらなければという強い意志と、単なるビジョンで終わらせない本気度を常に感じてます。
でも、掲げるだけではDXは起こりません。
リコーの考えるDXを着実に推進するために、向かう先とそのステップを決めて歩みを始めたところです。
そのなかでも、このnoteという場はすごく大事な場所だと考えています。
——それは、なぜですか?
市谷:たとえば、会社の決定事項を社内で議事録のように回覧されたところで、従業員はただの連絡事項としてしか受け取れないし、その資料だけでは正しく理解できないじゃないですか。
でもそれが、一般公開されて社外の方も見れるようになることで、社内の人が理解しやすくなるのはもちろんのこと、社外の人にも理解してもらえるようになりますし、リコーが大切にしているお客様にも伝わっていくようになるんですよね。
だからこのnoteという場所で、ありのままの姿を発信していきながら、社外の方には組織変革やDXのための参考資料として、リコー社内の方には自社理解を深めるツールの一つとして使ってもらいたい。そんな思いがあります。
——きっとその発信には、デザイン思考とアジャイルに一緒に挑戦してくれる仲間が必要ですね。
武田:本当にその通りで、僕たちは仲間を必要としています。
リコーグループは世界約200の国と地域で事業を展開し、従業員数は約8万名に及びますが、この「みんなのデザイン思考とアジャイル」チームはまだ十数名の小さなチーム。まだまだこれからなんです。
まずはnoteを覗いてもらうだけでもいいですし、「いいね」や「フォロー」してくれたらそれは嬉しいですし、今後のイベントやコミュニティ活動に参加してもらえるなら大歓迎です。
どんなカタチでもいいので、デザイン思考とアジャイルに一緒に取り組んでくれる方、仲間になってくれる方をお待ちしています。
【次回へ続く】
後編もお楽しみに!
次回は、インタビューの後編をお届けします。チームが見据える先や、そこにかける思いの丈を語ってもらっています!どうぞお楽しみに。
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